鳥羽周作の命式分析

命式分析例

多忙につき記事更新がご無沙汰しておりました。例の広末問題はもう沈静化してしまっていますが、いちおう残る1人の鳥羽周作氏についても書いておきましょう。

丁火の辰月生まれですね。

 辰月は「季節感が定まらない月」です。冬のように寒く雪が舞う日もあれば、夏日になることもあるでしょう。ということは、寅月や卯月と同じようにして「春の括り」に入れることはできません。

辰月(4月)・戌月(10月)暑いのか寒いのかすら不明瞭で確定できない月であり、どの五行が優勢なのかも元来定まっていません。このような月を「雑気月」といい、春夏秋冬といった通常の「四季の枠組み」からは外れます。

 つまり、辰月や戌月の命式は、雑気月だけの独自・特殊な視点で鑑定しなければ正しい判断ができません。(辰月・戌月の命式について、身旺・身中・身弱の判断が正確に見分けられる鑑定師はちまたに殆どいないのではないかと思います)

これは雑気の辰月生まれですから、初心者には少し判断が難しい命式と言えます。

そして、この命式は、時柱まで確定しなければ「日干の強弱」を断定することができません。三柱だけならば「身中」に近いですが、9時~15時の間に生まれていれば「身旺」に化けます。(私の個人的な予測では、この人は身旺ではないかと思います)

ただ、日干の強弱が身中であれ身旺であれ、三柱を見た時点ですでに厄介な命式です。トンチンカンな言動を繰り返し、自ら墓穴を掘って自滅していきやすい人物です。(これは丁火にとって、戊土や丙火がどのような作用を及ぼすのか分かっていれば判断できることです)

この命式は、時柱不明かつ日干強弱も不確定ですから、昼生まれ(身旺)のケースとそれ以外の出生時刻(身弱)のケースの2通りに分けて考察すべきでしょう。

ただ、どちらにしても30歳までの戊午~己未の運勢が非常に悪かったことには変わりません。実際に過去の生き方を調べると、最初に教諭になったがうまくいかず、すぐ挫折して、その後は定職に就かず世界中をプラプラ放浪していたということですから、大運の示す通りだったのでしょう。

 もし、この命式が昼生まれの身旺ならば、庚・申酉金は「用神」(=開運に必要な良い五行)となりますから、31才から急激に運勢が良くなって、わりと本人の思い通りに物事が進んでいったでしょう。

実際にその辺りから、料理人になってビジネスがうまく行き始めた、という過去の事象推移から考えても、この命式は「身旺」である可能性が高いと思います。

 そもそも女性にモテるような命式ではありませんが、期間限定で用神の「財神」がやって来たために、にわかに女性遊びを始めたのでしょう。本来であれば全く縁ができないような女性とも縁ができる幸運が舞い込んできたのですが、用神の作用が「人間性の改善や自己修正」を伴っていない場合、お相手の女性を大切にするようなマインドにはなりません。次から次へと都合よく女性を使い捨てするような「貪り」を発揮するでしょう。

短気で怒りっぽく、癇癪を起しやすく、赤ら顔で自信過剰な強気発言が目立ち、周囲とトラブルを起こしやすく、自分の非を認めての謝罪や自己反省ができないという人物傾向から考えても、まさに火星の身旺そのものの姿です。

「おカネもほぼ無くなった」広末涼子と"W不倫"鳥羽周作シェフが社長退任の意向 「週刊文春」に告白 | 文春オンライン
女優・広末涼子(42)とW不倫関係にあるミシュラン1つ星店「sio」のオーナーシェフ・鳥羽周作氏(45)が「週刊文春」の取材に約200分にわたって応じ、同店を運営する「sio株式会社」(東京都渋谷区…

では、ここで皆さんに問題です。

庚金が用神であるならば、庚申~辛酉という「専旺干支の用神」が大運で巡ってきている今は「大吉運・絶好調」のはずです。ならば、なぜ今回のような大問題を起こしてしまい、かえって足を滑らせて吉運から奈落の底に転落するような事象が起きてしまうのでしょうか?「専旺干支」で用神が来る大運というのは、常に良いことばかりが起き、何の問題も起きないはずではないのでしょうか?

実はそうではありません。専旺干支で用神が来る大運は、特に原命式に一切その用神を持っていない人にとっては、かえって注意していないと調子に乗って足を滑らせる可能性がある「危険な運勢」であるとも言えるのです。

似たような事例は多々あります。例えば、アンジャッシュの渡部健、タピオカ騒動で芸能界を干された木下優樹菜などがその典型例です。どちらの例を見ても分かるように、たとえ専旺干支の用神運にいても、調子に乗って一度派手に足を滑らせてしまえば、もはや元の栄光に復帰することはできません。どれだけ飛ぶ鳥を落とすような破竹の勢いで大成功を収めたように見えても、それは大運のごく最初の期間だけに過ぎず、途中で足を滑らせれば、それまでの成功は全て水の泡となります。だからこそ要注意のリスキーな運勢だと言えるのです。(いちおう用神運ではあるので、死ぬほど困窮するには至りません。何とか食べていくことだけはできるでしょう)

 ちなみに、当校のオンライン講座では、専旺干支の用神が大運で巡ってくる場合(原命式に一切その用神を持っていない命式)の読み方として、全部で6パターンに起こりうる事象を分類して下さいと教えています。

その専旺干支運が「人生のいつ頃にやってくるのか」×「本人が過去どのように生きてきたのか」の掛け合わせによって合計6パターンの事象の成否、微妙な事象の違いが生じます。

鳥羽周作や渡部健のように足を滑らして派手にやらかして復帰不能となる事例もあれば、真っ当な努力をしながら慎重さを忘れず大成功をおさめて平穏無事に通り過ぎられる方もいます。何がそれらを分ける要素となっているのでしょうか?

 原命式の中にまったく必要な用神を持っていない人にとって、大運で後から巡ってくる用神の星は「借り物の星」に過ぎません。もともと命式に一切無いということは、その人の思考回路や内的気質にその星を適切に扱うための素養や内的感覚が皆無であるということです。(命式内に1つでも用神の星があるならば、少なからずその星を用いられる精神的な持ち前ヘクシスを有しているのです)

 ですから、大半のケースでは、人間性を改善したり、自分の欠けに気付かせて軌道修正させるまでに至りません。思い通りになる「楽な運」が来たと思って、ただ吉運を貪って浪費するだけですぐ通り過ぎてしまうのが世の常です。

本人が自覚して、用神の示す方向性で自己改善・軌道修正するという意思的努力が伴わっていなければ、必ずしも「万事が吉の大成功」で最後の最後まで物事が無事完結して締めくくられるとも限りません。

タイトルとURLをコピーしました