「運命」とは何か?~推命学の視点から考察

四柱推命の基礎理論

占いといえば「運勢」「運命」というワードが必ず出てきます。

そこで皆さんが思われる素朴な疑問が「運命って何なの?」「運命は決まっているの?」といったものではないでしょうか?

推命学を専門としている占い師個人の視点から、また占いとは別なスピリチュアル的な視点からの「運命」とは何か?を考えてみたいと思います。

「運命」と「宿命」の違い

まず似て異なる言葉をきちんと定義しておきましょう。

よく混同されやすいのが「宿命」と「運命」です。英語に直すと「宿命」はfate、「運命」はdestinyです。

「宿命」とは、通常「変えることができない不可避の事柄」を指します。典型的なものとして、どんな環境に生まれるか、どんな親の下に生まれるかが挙げられます。これらは変更することができません。

これらは、本人の自由意志によっては変更することができず、あらかじめ決まっている要素(いわば天によってセッティングされている舞台設定)です。

私はこうした「宿命」については「占い」が扱う領域の範囲外にあるものだと考えています。これはスピリチュアル的要素が深く絡んでいます。

東洋的に言えば「因果応報」「前世のカルマ」(宿業・因縁)、西洋的に言えば「回避できない魂の学び」「神様からの宿題」とでも言うべきものです。

この人生において、本人が必ず経験しなければならない「避けて通れない事柄」=少なからず生まれる前に決定されている要素が幾つかあります。その多くは、前世からの積み残した課題であり、カルマ(宿業)の解消のために避けて通れない問題です。

前世のカルマが「宿命」を決めている

一例を挙げるならば、前世に自分が意図的に加害した相手から、今世では逆に不条理な被害を受ける、といった人智を超えた巡り合わせが「宿命」に当たります。ある年令で必ず遭遇するように定められている「事故・病気・困難」などがある場合、それも「宿命」と呼んでよいでしょう。

それらの大半は、前世から積み残したカルマの解消避けて通れない魂の学び(課題)として「不可避の宿命」として天によって定められている要素です。

生年月日を基にした「命理占」(推命学や占星術)でも、その一端はおぼろげに垣間見ることはできます。(「従殺格」や「従財格」といった「特殊命式」には特に宿命的要素が強く働いています。特殊命式は「運命」よりも「宿命」のウエイトが非常に大きい命式だと言えるかもしれません。)

ただし、大多数の人=普通命式の場合は、前世からのカルマや宿命の要素がそんなに明確に分かるわけではありません。宿命(fate)はどちらかと言うと「占い」で見ることができる範囲を超えているもの、いわばスピリチュアル的領域に属する要素だろうと考えています。

離婚・再婚をしやすい運命傾向の人、事業破綻を経験しやすい運命傾向の人、お金で苦労することが必定な傾向を持っている人、そのような形でおそらく前世からのカルマの一部として背負ってきているであろう課題の一端なり、魂に刻まれた傾向性を部分的に読み取ることは可能です。このように「命理占」で分かるものは「人生全般のマクロ的傾向性」に過ぎません。

前世や前前世でどのようなカルマを作った結果として今世において「具体的にどのような形でその解消が為されるのか」といった1つ1つの宿命のあやをピンポイントにひも解いて解明することは「占いの役割」ではありません。

そんなことが分かる「占星術の技法」はたぶん古今東西どこを探しても無いのではないでしょうか。占いが扱う生年月日には、そうした宿命の細かな1つ1つまでは記されていないように感じます。それは「神のみぞ知る」「地上の人間には隠された秘儀」であってスピリチュアル的な領域に属する事柄です。

そうした宿命の1つ1つを全部知ってしまうことは、地上の人間には求められていません。なぜなら、期末テストを受ける際にあらかじめカンニングをしているのと変わらないからです。地上に生きている人間には、細かな宿業の詳細・全貌はあえて知らされないようになっているのです。答え合わせをするのは死後のあの世においてです。

占いで知りうるのは「運命」の部分

変えることが一切できない要素、宿命で定められている事柄は、占いの知りうる対象範囲でもないし、それを知ることができたとして、あまり意味が無いのではないでしょうか?

というのも、予見される悪い将来を、変えていける自由意志の余地があるのならば、占いの知見を借りるだけの意味・価値があるでしょうが、何をしても全く変えることができない必然の未来を知ったところで、私たちができることは観念してその未来を受け入れること=諦観だけです。知ろうが知るまいが同じ結果になるのですから、そのような未来予知にはあまり意味がないでしょう。

「占い」が主に対象としている領域「運命」(destiny)のほうです。

「運命」は「運ぶ」という字が付いているように、本人の自由意志によって(自由意志が関与しながら)展開されていく事柄です。言い換えると、本人の自由意志によって少なからず変えていける余地があるのが「運命」です。

ただし、占いにおいてこの人の「運命の傾向性」とか言っているように、何もしなければ70~80%以上の確率で「そうなるであろう」といった全体的な傾向性(マクロ的傾向)はあります。

自由意志によって変更できる可能性はもちろんゼロではないが、何もしなければ=魂の生まれ持った惰性(傾向性と歪み)でだいたいはそうなるよといった道筋(マクロ的な方向性)のことを「運命傾向」と呼んでいるのです。

もっと言えば、人間性考え方価値観行動パターンといった、その人の気質・性格傾向が「運命のモト」であるともいえるのです。これらを総じて「魂に刻まれた傾向性」というのです。

占い(命理占)が示す「運命の傾向性」(マクロ的な方向性)は「不可避の宿命」のように完全に決定されていて、まったく変更が利かないものではありません。

そうならないように、本人が自戒して意識的に舵を切って「星の示す惰性・傾向に逆らって」いけば方向性・進路が少しずつ変わっていくだけの余地は十分に残されています。

このように見ると、私たちの人生は、①変えることができない「宿命」の部分と、②自由意志が関与してある程度は変えることが可能である「運命」の部分という①と②の混合型ハイブリッドで構成されていると言えるでしょう。

「運命」は「魂の傾向性」から派生している

人生というのは、すべてが必然で何もかもが決定されていて、自由意志の入り込む余地が無いほどに「宿命論」に縛られているわけではないが、その一方で、何でも自由自在に選択できるほどには、自分が思っているほどには「完全な(無条件的な)自由」の中に置かれているわけでも無いのです。

 それまでの輪廻転生の結果として、それぞれの魂には「固有の歪みや言動の癖」が刻まれており、その生まれ持った「魂の惰性」のまま何も考えずに無意識に行動していれば、およそ70~80%ぐらいはそうなるであろうといった「運命の傾向性」「マクロ的な人生行路」があるのです。

占い※でよく分かるのはまさにこの部分です。ここでいう「占い」とは生年月日という初期条件データを基にして星辰干支暦に示される「星の相・時の相」を読み解いていく命理占です。タロットや易占などはまた違った種類の(原理が異なる)占いになります。

 前世でも前前世でも不倫や浮気によって家庭を破壊してきたという魂の傾向性=悪しきカルマを有している者は、やはりそれを反映するような生年月日(星の相の下)に生れ落ちます。そして、今世でも無自覚・無意識に生きれば、また同じような悪業を重ねやすく「運命の落とし穴」に嵌ります。

 このように、たいていの人は無意識・無自覚のまま「生まれ持った魂の傾向性・歪み」のままに考え行動して人生選択をしていきます。

 その結果として「星の相が示す通り」の人生行路を歩んでいくことになりやすい。これが生年月日系の命理占がよく当たると言われる理由です。悪い意味で「星の通りに生きてしまう人」がいかに多いかということですね。

夏になれば、気象庁が「台風の進路予想」をしますが、あれにも似ているでしょうか。

台風が発生した地点の気象条件(気圧・海水面の温度・水蒸気量・上空の風速風向)をインプットして解析すれば、おそらく今後どのような進路で動いていって、いつ頃どうなるかの大まかな予測が立ちます。

台風が発生した際に、すでに「初期条件」がインプットされています。人間の場合は、生年月日出生時刻・出生地「初期条件」に当たります。

この初期条件によって、どの方向性に、どのぐらいの速度で進んでいき、いつ頃上陸するか等のおおよその道筋は予測できます。それはだいたい7~8割方は当たります。これが「運命」の正体です。

ただ、台風と違うのは、人間にはいちおう歪んで偏向してはいる(=不完全ではある)が自由意志なるものがあります。

自分自身の偏りや歪み(魂の悪しき傾向性=カルマ)を自己認識した上で、修正を試みて頑張って「軌道修正」する可能性もゼロではありません。ここに「占いの役割」が一定程度はあるわけです。ただ、そのようにして軌道修正が為される確率は通常は20~30%未満です。

ほとんどの人は無自覚・無意識のうちに、生まれ持った星の示す通りに、前世に由来する魂の癖や歪みのままに人生選択を行います。

結果として、星が示す通りに生きてしまっている人が世の中の大半です。だからこそ、悪い意味で占い(命理占)はよく当たるのです。本当は当たっていないほうが良いのです。

本人が自覚して努力して、星の示す「悪い傾向性」に逆らって自己矯正して歩むならば占いの予測が当たっていないケースもあります。それは極めて稀な事例(50人や100人に1人ぐらい)ですが、むしろ喜ばしいことでしょう。

人間の持つ「自由意志と運命」の関係を譬えるとするならば、あるレストランでお昼のランチをするとして、Aランチ~Dランチとまったく異なる多くの選択肢が用意されているとしましょう。多種多様なメニュー(選択肢)が与えられていて、本来ならば何でも自由に無条件に選択できるはずですが・・・

実際のところは、個々人は自分の持って生まれた嗜好性(魂のクセや歪み)によって、魚介類が好きな人はCランチ(煮魚定食)を好んで選ぶし、麺類が大好きな人はAランチ(かき揚げそば)を選ぶだろうといった見通しが立ちます。

少なくとも魚介類が大嫌いな人はCランチ(煮魚定食)は選ばないでしょう。分かりやすく言えば、これが「自由意志を媒介しつつ、特定の運命だけが展開していくカラクリ」です。

自由意志とはいっても、それは偏って歪んでいるため、特定の方向になびきやすいのですから、決まって同じような偏った選択を繰り返しやすいのです。

この魂の有する歪みや偏りが、例えば「ある五行の多い少ない」といった形で、生まれた年月日時の「星の相」(推命学の場合は「命式」)に少なからず刻まれているのです。

人間には「自由意志」が無いわけではありません。しかし、私たちの持っている実際の自由意志は「何でもニュートラルに偏りなく選び取る」ことができるような無色透明の「完全な自由意志」ではなくて、各々の魂の歪みや癖によって偏向され歪んだ「不完全な自由意志」なのです。

実際には、無限にあるように思われる数多くの選択肢の中から、その人が実際に選び取ることが可能な選択肢の幅はかなり狭くて一定の範囲内でしかないのです。

例えば、夫を攻撃して自分から家庭を破壊するという悪しきカルマを持っている人にとっては、1人の男性だけに従順に従って、夫を立てて内助の功に勤しみ専業主婦として安寧に一生を過ごすという選択を行う可能性はきわめて低いでしょう。

私たちは「自由」と「運命」を通常は対立概念として考えています。あらかじめ「運命」が定められているところに自由意志が働く余地などない。逆に自由な選択ができるならば、そこには決められた運命など無いと思いがちです。

しかし、話はそんなに単純ではありません。正しくは、人間は自分の自由意志によって、特定の運命を選択していくのです。自由意志を通して「運命」が形作られている。自由と運命(必然)は単純な二律背反ではない、ということになります。

「天」と「地」は共鳴・相関し合っている(照応理論)

生まれ持った歪みや癖は、生年月日の星に実は色濃く反映されており、占い師は特殊な知見(古代から伝えられている占星術の理論装置)によってそれを読み取っているだけです。

正確に言えば、その生年月日に生まれたせいで、そのような運命を歩まされているという因果論で考えるべきではなくて、自分の魂の在り様(魂の相)が最もふさわしく反映された日時(星の相の下)に生まれ落ちている巡り合わせている、というほうが正解でしょう。

目に見えない「天の事象」目に見える「地上の事象」には、私たちが知らない(肉の目には見えない)人智を超えた相関性(天と地の照応関係、シンクロニシティ)があり、生年月日(星の相)には目には見えない「魂の様相」が色濃く反映されているのです。このような考え方を「照応説」(天人相関論)と言います。

たまたまの「星の巡り合わせ」のせいで、自分が不幸になっている、とよく言われますが、それは「因果論」で考えるからそう思うのであって、星の配列によって私たちが一方的・強制的に動かされているわけではありません。

「照応説」で考えるならば、私たちの内部にある歪んだ魂の傾向性が、天の星の相に反映されて示されている、わが内なる魂と天の星の相はシンクロし共鳴し合っている(神様は星の相を通して、各人の魂の課題を隠されたヒントを通して示して下さっている)と考えるべきです。

先にあるのは=原因となっているのは、星からの影響力なのか、魂の歪みなのかという「ニワトリ&タマゴ論争」になりがちですが、因果説と照応説では捉え方が違ってきます。

「運命」は外部から来るのではなく自分の内にある

知っておいてほしいことは、「運命」はどこか遠くの外部からやって来るものではなくて、実はあなた自身の内にあるものだということです。

「運命」を形成している主体である「魂の偏向した歪みや癖」は、あなた自身が輪廻転生の繰り返しの中で形成して魂に深く刻まれてしまった傾向性です。どこか遠くから急にやってくる何かではありません。

この内なる要因こそが「運命の種子」です。人生における時間の経過(大運などの後天運)も、実は内部から流れ出ている要素(命式の延長線上)でしかなく、種子がいろんな条件に置かれて、発芽して成長して開花・収穫を迎えていく様子にも似ています。大運などの「後天運の巡り」は、種子に対する水や光や温度変化のようなものであって、刺激を与える発芽要因といえます。

結局のところ、内にあったものが外へ展開・伸長していることには変わらないのです。後天運も含めて、運命とは自分と無関係な遠くから急に飛んできて被害を受けるような全くの外的なものではありません。

いずれにせよ、自分の内部に由来する悪しき偏りや歪み(運命の種子)に気付いて修正を掛け、むしろ良い要素を伸長していくように努力することに、各人の自由意志の役割があります。

命理占(鑑定師)の役割は、自分自身の歪みや偏り(悪神の作用)を可視化しつつ、修正すべき正しい方向性(用神の作用)を指し示す「姿見の鏡」「羅針盤」のようなものです。

本人が自分の歪み=悪神の働きをよく認識して自省しつつ、努力して自己修正や軌道修正を続けていけば(=用神の方向性で努力していけば)少しずつ人生選択が変わっていきマクロの道行がズレていく可能性はあるのです。ここに占いの意味各人の努力の価値があります。

ただし、そうやって良い方向に舵が切れる可能性はおよそ20~30%ぐらいです。(もともとの命式がどのぐらい程度に偏っているかにもよります。魂の歪みや偏りの多寡・カルマの大小といった個人差があります。歪みや偏りの少ない命式はずいぶん楽です)そう簡単なことではないことも知っておいて下さい。

滅び至る門は広く大きく、そこから入っていく者は多いが、命に至る門は狭く険しく、そしてそれを見い出す者は少ないのです。

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